インタビュー 吉川慶一(染色)

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藍で愛が育まれるまちに

藍染の今

―――参加者は年配の方が多く参加していましたね。

年齢的には60歳以上の方が多いですね。私としては、まずお父さんお母さんが子どもたちと来て楽しんでもらって、そこから子どもたちの興味につながっていけばと思ってます。今は特におばあちゃんに来ていただいてやっているんですが、ゆくゆくは次の人たちに引き継ぎたいと思って、そういう形が来年からはできるかなと考えています。

――今日のような藍染体験のワークショップはほづあい研究所(吉川さんが所長を務める藍商品開発・研究所)でもやってらっしゃるんですか?

はい。実は今日と先日も、藍染め体験をしていまして。スタッフにお願いして「藍染め体験の指導している」かたちをとっています。

京藍との出会い

―――一度は絶滅したといわれた京藍を亀岡で復活させたのはなぜですか?

昔は47都道府県どこでも藍は作られていましたが、そのなかでも京藍が最も上質と言われていたのを、35、36年前に初めて知ったんです。最初はどこにあるか、どんな藍なのか見当もつかなくて諦めていたんですが、徳島の方でやっと見つけたんです。それが4、5年前で、そこでどうにか京藍の種をいただいいて、それから絶対にその藍は絶対に廃れさせてはいけないということで今も一生懸命育てながら、藍染をしています。

―――藍の魅力とはなんでしょう。

藍の職人さんは病気知らずと言われていて、ブルーベリーの10倍のポリフェノールが入っていたり、抗炎症作用、抗菌作用、抗ガン作用というように人間にとって素晴らしい成分がいっぱい含まれていることが分かったんです。そういった魅力を伝えたくて、今は農家の人たちにも声をかけて、農家の方と一緒に作っています。

藍を広める、人とつながる

―――ここまでくるのに試練はありましたか?

試練というのはあんまり感じていなくて、趣味が高じてこういうふうなっているので、つらかったことは特にないです。一生懸命やっていることでご飯が食べられていますから。汗かいて畑耕して蜂に刺されたりもしましたが。あと、収穫が思うようにはいかないこともあったけど、苦労を見ていただいて協力してくれる方もでき、ほづあい研究所に10人ほどのスタッフができて心強いなと思っています。それだけ広がりができて、1人1人とのつながりっていうことで、自分が目指していた部分が前進しているかな。人と人とのつながりも愛。そういう風に私は思っています。だから藍が育つ保津町、藍があふれる亀岡、藍で愛が育まれるまちにしたい。それが私のキャッチフレーズです。

―――2020年のかめおか霧の芸術祭に期待していること、やってみたいことなどをお話ください。

とにかくまちが元気になってほしい。「霧」の芸術祭ということで、霧って普通はマイナスなんだけど、その霧というものを資源として考え、霧を1つの芸術として暮しの中で生かしていこうと皆さんがんばっているので、私もその1人として芸術祭を永遠のものにしていくためにがんばっていきたいと思っています。

文 / 水原優(京都造形芸術大学文芸表現学科3年)

吉川慶一(よしかわ・けいいち)
ほづあい研究所 所長。藍染め作家として、30年以上藍染に携わる。幻の京藍を復活させ、その藍で染め物をしたいという夢を叶えるため亀岡に移住。保津川のほとりに長屋を借り「ほづあい研究所」と命名、研究を続けている。http://www.hozuai.com

公開日:2019年7月4日