2019/1/26

KIRI WISDOM vol.5「お茶堂のはなし」

ゲスト:きむらとしろうじんじん / 安川雄基
聞き手:松井利夫(かめおか霧の芸術祭 監修)

 

2018年春から秋にかけて、アーティスト きむらとしろうじんじんさんと野点を開催するため
わたしたちは亀岡の様々な場所を歩きまわりました。
散歩を通じて「ここで野点をしたい!」と参加者で何度も話し合われた結果
選ばれた場所は「丹波国分寺跡」「曽我部町にある800Mの道」2つの場所。
第5回目となるWISDOMでは、きむらとしろうじんじんさんと、野点も一緒に行ったアトリエカフエ安川雄基さんにお越しいただき、野点のお話や、屋台の魅力、建築物を建てるor建てないの話、お茶堂について、魅力を出し合ったり、質問しあいました。
[野点とは?]
きむらとしろうじんじんが行う「野点(のだて)」とは、 自分で作った焼きたてのお茶碗でお茶を楽しめる移動式お茶会です。じんじんが、リアカーに陶芸・お抹茶道具一式を積んで、街のさまざまな場所にあらわれて、お茶会をします。

 

お茶堂について

松井:霧の芸術祭を考えた時に、僕昔、霧の中に入った時に、前と後ろどっちに行っているのかだんだんわからなくなって、ものすごい怖い目にあったことがあった。

霧の芸術祭でその感じを味わいたいな。と。日常生活で、滅多にない。こっちが後ろ、こっちが前ということすらもわからない。色々そこで思ったんですよ。自然と対峙する中で。
そういうことを思った時に、亀岡の霧の芸術祭は絶対あるかなあかん。
というのは頭の中に初めからあった。
車でもない、自転車でもない。歩くスピードが、色々考えるのにいいスピードやと思う。
そういう時に候補で、じんじん。でも面識なかった。アホなことをずっとやり続けている
というのは知っていた。そんな時に、共通の友達が「昨日じんじんが来てな」と。
すぐに紹介してもらって、話が進んで 以下省略。笑

きむら:笑そうですね。
チラシにもちびっと書いていたと思うんですけど、お茶堂についてっていうのは書いてあったと思うんですけど、昨年の秋に後で紹介しますけど、野点っていうのをまずやらせてもらって。お茶堂っていうのを立てるっていうのをやってみようか。みたいな話になったんですね。今日は野点の紹介もするし、松井先生が何を霧の芸術祭で考えているのかっていう話。後、安川さんのこと。
後もう一個、お茶堂と呼ばれるものがお茶堂と僕らが仮に呼んでいるものがどんなものなのかっていうことに関しての話ができたらな。と思っています。

松井:歩きながら考えるっていうのが、そもそもの考え方。
今のアートイベント、今の社会っていうのは到達点をまず設定するんです。
それに対して、予算をつける。で実行していく。僕はその順番を亀岡ではやめたい。
もちろん行政と一緒にやるのだから、予算や到達目標っていうのはあるけれど、それにできる限り幅をもたせたい。
でもっというと歩きながら考えていく。歩き続ける。ということをやっていきたい。と思って、その中に、じんじんが田んぼのあぜ道でおばあちゃんと一緒にやかんでお茶を飲んでいるシルエットが美しい。と僕は思う。というところで、野点をやってくれへんか。という話になった。
次、そういうことができていく中で、いろんな人が入ってきて旅人が立ち寄れる。お茶が飲める場所があったらいいね。という話やった。
カフェとかそういう重い感じではなく。それを話しているとお茶堂っていうのがあると。高知のお遍路さんの道すがらにお茶堂というものがある。
それは旅人をもてなすための社会の仕組み。それが自然発生的に僕らが作れたら一番いいなーと。
芸術祭はそういう形で積み重なっていくのが一番美しいかたちやと思っていて。これは僕らの美意識ですけどね。仕組みが美しいのであって、お茶堂はボロボロでも構わない。
それをみんなで維持していこうという心が美しいのであって、その人がブサイクでもいい笑 そんなことはもうどうでもいい。そういう街にしたい。という話が1点。
もう1つは、今世の中のアートっていうのは、みんな「何見せてくれんねやろ」って
例えば 映画館。1400円払ったんやから楽しませてよ。
映像はでっかい方がいいし、音はおっきい方がいいし、サラウンドの方がいい。
リクライニングできる・・・
そんな自分が働きかけんと、アートが手に入る世の中にしてしまったアーティストは悪い
そーいうアーティストは呼ばない。

きむら:ざっくりしてますね笑
スパーッと整理されていく。

松井:そんな人たちはいっぱいいるし、京都なんかもやってるし、新しい生活作る場所、新しいアートを目指す場所って考えたら、そんな映画館式なアーティストはいらない。
カフェのプレオープニングやった時も、みんなは物珍しそうに入ってきて、こっちは背広着たり、いつもよりええかっこして集まって。そこで酒井洋輔って、メンバーの1人ですけど
そいつがね、指差してね、めっちゃかっこいいやんって言ったんです。
指先見たらね、じいさんが長靴履いてきている。何人かで。
確かに美しいんです。
僕ら農業とアートと言っときながら土に触れてない、田んぼ知らない、野菜のことも知らない。
農業っていいな。とかね美味しいもの食べたいねとか、安全に食べたいねと。
いうこととアートってすごく近いねと感覚的なことだけで一番始め引っ付けていた。
それは間違ってはいないんだけど、でも実際にはそれはどんな美しい世界をつくっているのかっていうのを見たらね。田んぼは美しいし、今日も、信楽から帰ってきたけど、突然雪降りだして、あぜ道だけくっきり浮かぶんです。
切ったあとが丸く白く残る。それだけで美しい映像というか、雪降るだけで、そんな風になる。それが僕らがつくったアートやと。みんなが作ったアートやと。
誰もがアートとして作っていない。でもそこに美しいものがある。
ということを言葉じゃない、表現するにはアーティストいらないんですよ。
美味しい野菜を、一番いい農場を作ってくれている田んぼがもうアートになっている
そういう芸術祭できへんかなって。っていうことをじんじんたちを歩きながら、今喋っているということですよね。ちゃう?

きむら:おおてる気が・・・する笑
ちょっと補助線を弾かせてください。
いきなりものすごい本題に入っていった笑
僕の方からの経緯をお伝えしておきます。
出会い方はそんな感じで、野点っていう現場をやるっていう前提で話しつつ、さっき言ってはった田んぼのあぜ道でヤカンでお茶を入れて、そういう風景がっていう。
松井先生と話をした時に、僕の中で浮かんできたのがお茶堂っていうことで。
野点に関しては後で映像とか見てもらうんですけど、僕がお茶堂っていった時に思い浮かべてたものをちょっと説明しますね。
一時期野点で、高知県の西の方ですね、当時は幡多郡いま大合併して四万十市ってとこにたくさんのエリアが含まれたんだけど、幡多郡の方とか、四万十川の上流の愛媛との県境。
西土佐村とかそういう場所があるんですね。
そこらへんの地域にものすごく野点で頻繁にお世話になっていた時期があるんですね。
そん時に車も通れるか通れないかくらいの山の中を地元の分校の高校生の子達に案内してもらって、散歩を繰り返していた時期があって、そん時に山筋の道道にちっさい田舎のバスの停留所ぐらいのサイズの屋根が

こんな小さい小屋が、山あいの道道にポツポツ立ってるんですよ。
高校生の子になにでつくってるの?て聞くと。お茶堂といってもともと、詳しく歴史を調べて言葉として落とし込んでいるわけではないんで間違いがあるとお許しください。詳しく知りたい人は各自調べてくださいなんだけど、お遍路さんが歩く道で、お接待という文化があると。でまあお遍路さん歩いている人たちってちょっと疲れたり、しんどくなったりして、こういうとこで休んでいる人がいたら近所の人がお茶を持ってきて出すのが普通なんです。という話を聞いたんです。
僕が見たのは本当に山ん中の人が1日に何人通るの?っていうくらいの道にもお堂が立ってて、ものすごく綺麗だったんです。綺麗に保たれていた。
外観的に綺麗っていう意味ではなく、柱がちゃんと掃除されているとかほこりたまってないとか、花が生けてあるとか。
誰が面倒見ているの?て聞いたら、なんとなく近所の人がやっています。というのを高校生から聞いて。
今その弘法大師さんへの信仰ってどの程度残っているのかは僕はわからないけど、狭い意味での宗教的な信仰があるかどうかではなくて、お堂があってそこで休んでいる人がいたらお茶を出すっていうのが習慣として、永遠続いているっていうのにものすごく感銘を受けたんですね。
それを一体どんなことが支えているのか僕には伺いしれない部分はあるんやけど、ずっと現役。高校生もすごく当然のように。お掃除も、当番制じゃなくて、なんとなく周辺の人がやっています。というのを聞いて、ものすごく感銘を受けたんですよ。
でまあ、僕のやっている野点っていうのは、リヤカーに釜積んで、一式積んだもので道端とかに出て、その場でお茶碗焼いてお茶を飲む。っていう場を開くっていう。
本当に仮設というか。朝来て、パッと開いて、パッとという割にはあまりにも時間がかかるんだけどその後立ち去るっていう。1日だけそこにあるっていうくらいで。
ずっと建物を建てるっていうことに関してはどっかで抵抗感がある自分っていうのもいるんですね。
ずっと大学で焼き物勉強してきて、その後しばらくコミュニティーセンターの運営みたいなのに関わっていた時期があったんですね。
アートスケープっていう名前で、京都でちっさいコミュニテーセンター兼アートセンターみたいなものを立ち上げて運営してみたり、バザールカフェっていう名前で京都の街中で小さいカフェみたいなものを友人たちを開いてみたり。
京都のクラブでクラブパーティーを運営したり、建物があって人を呼べる場所みたいなのを運営していた時期があって。
どっちかというと今僕のやっている野点は、もう一回路上に出直す。
建物が人を呼べる場所になるっているのから、もう一回それを取り出して道端で不特定の人が出入りできる場所にそれを置いてみたら。
という欲望から始まったものがあるんで、野点を始めてから、建物を立てたり場を持つっていることに対してはどっかで、抵抗感。抵抗感なのか、そうじゃないありようみたいなものを。
模索していた自分もいるんやけど、もう一回何かを建てるとか、何かを野点みたいに
1日だけで去っていくもんでないものを。お茶堂みたいな有りようをっていうのにはすごく興味があるなと思って。
そんで、松井先生と話してた時に、お茶堂っているのはどうですか。っていうことを提案しました。
もう1個、原体験としてあるのは、バザールカフェっていうカフェを友人たちと立ち上げた時にカフェの改装工事をみんなでしたんですね。
みんなでしたっていうことはどういうことかというと、建築家の人が設計したものを業者が建てるっていう形態ではなくて、実際の作業そのものを素人がやるっていう。
建築家の人は、どうやったら素人が作業して、建物が建つかということを設計するっていう立場で建築家の人が関わって、バザールカフェっていうカフェのデッキ部分とか、椅子とかテーブルとかを。
ほんまにドリルドライバー触るのも初めてのような若者たちと一緒にカフェを立てたっていう経験があって、やっぱこう作業を共に経験するっていうことで生まれる。
誤解を恐れずにいうと、信仰みたいなもの。
弘法大師への信仰がお茶堂を支えているのかわからんていう話をしたんですけど、もし僕がお茶堂っていうのを頭で描くとしたら、作業を介してであればそこを面倒見続けるような心情っていうのが発生しそうな予感っていうのはあったと思ってます。
それは野点っていう現場がそれで支えられているからだと思っていて、あれも1日だけのものだけど、作業をみんなでしているからその場をいい場として成立させようとか。
安全を守ろうとか、事故はおこしたらあかんなとか。
観念的ではなく、実感を伴って発生するのは作業があるからだと思っています。
考え方とアイデアだけが無情に着地したものだとしたら、おそらく安全であろうが実感を持てないまま。単純に。
さっきの松井先生の言い方で言えば、消費する対象としての、そういう感覚でしか見れないんだけど、作業を介することによって初めて、誤解を恐れずにいうのであれば信仰めいたもの。
それを育てていこうとする想いみたいなものが発生するのではないかと思っていて
僕の中ではお茶堂ってなった時に、建物を見て素晴らしいっていうのはあるんだけ、こういう存在感っていうものをみんなで作業として関わりながら見出していけないかというのが
僕の中では、松井先生と話している中で出て来た。
それを一言で言うと ひとまずお茶堂っていう言い方をしたという。

松井:一言じゃない笑

きむら:笑 長なりましたが、なんとなくわかっていただけたのではないかと思っているのですが、安川さんを誘ったのは野点の現場もたくさん入ってもらっているし、
特に安川さんの場合は、震災 東日本大震災があった直後の大槌町ですね。
岩手県の沿岸部にある大槌町という街でやる野点っていうものを1から制作する時に
安川さんが事務局的な立場というか。
大槌町にいて、野点を着地させるっていうことを一緒に立ち上げてくれた人でもあるので
本人が建築家でもあるので、お茶堂のこともそうだし、僕がどういうことを思って野点やっているかということも含めて一番わかって下さっている方の1人なので安川さんに声をかけて見た。という経緯があったんですが、そっからもう今1年弱くらい経ってるんですけども現時点ではお茶堂に関してはどういう考えですか。

安川:先に言っとくと、建築家と言われることにすごくムズムズする。タイプの人なんですけど、プランの設計したりとか、今作業という言葉がでましたけど結構自分で作ること。
例えば、設計をして、それを自分で考える。ということをしきりにやっているというのが1つ。
あとは、出身が、もともと建築を学んでいたわけではなくて、都市計画とかまちづくり。どちらかというとソフト面のことを勉強しながら流れるようにこっちにきたということがあって。例えばこういう場(お茶堂)を見た時に、立ち振る舞いとかを意識として考えてやっていかないといけない仕事ではあるんですけれど、じゃーここにどういう風に人が集まっているのかとか、どういう高さだったら、簡単に子供でも腰掛けられるのかとか、そういう人が入る系の方が興味がある。
おそらくじんじんさんの方からも声をかけてもらった繋がりもあるんですけども、作業に対するこっちサイドの想い入れといいますか。
みんなで作業することの、形は同じでも全く違うものになるというものに対する信念っていうものを。
僕もじんじんさんの一番そういうとことを尊敬しているっていうし共感できる部分でもある。野点でも色々勉強させてもらっているというようなことです。
建築家と言いながら、野点ではなくなってしまう場。
どこにでも置けて、なくなってしまう場っていうのにもすごく興味がある。
建築家と言われてムズムズするのは、実はそういう仕事の方が好きやったりもするんですよね。
屋台をつくるとか、展覧会の会場つくるとか、そういう仕事もしているので
空間を作るという仕事ではあるわけですけどそういうとこに興味持ちながらやっています。
そういう意味では本当に、もしかしたら今までやってきた中では一番やりたかった内容かもしれないとすら思っていて笑 内容的には。
今日皆さんと話をしていて、例えば立てるのに抵抗があるという話もありましたけど立ててしまうことの良さももちろんありますし、いちいちバラすとか、屋台みたいに動かせるとかという良さもあると思いますし、それによって全然、できる場所もできる場所、使い方、使う人も完全に変わってくるだろうなと思うんですけど。色々妄想はしてますけども、それすらもこの場でつくっていけるとか。決まっていない状態っていうのが好き。
もちろん図面書いたりとかはするんですけど、図面出したら色々話をしやすいのでしょうけど話しながら・・・歩きながら考えるっていうテーマを最初にお聞きした時にこっそり喜んでいたんですけど、そういう進め方ができると僕としてもすごく嬉しい。

安川さんの仕事(Atelier cafue)について

安川:奥さんと今2人でやっていて、
2011年にこの事務所を初めて、もう8年目くらいですね
事務所に勤めた後に、自分でやり始めて
設計だったり、今言っていたつくることだったり
結構小さい屋台だったり家具だったりをつくるのが好き。
展覧会を製作したりだとか。ざっくりまちづくり事業のコーディネートとか。
事務所をはじめて駆け出しの頃に東北の大槌の方に行って半年くらい住んで。
なぜか大槌で受け入れる側にまわり、
元からずっと大阪ですけど。その頃からじんじんさんは知っていたんですけど、まだ大槌でしか会えていない。笑

きむら:僕まだ住所録、岩手大槌安川になってますから笑

安川:奥さんの方は山口の芸術センターで教育普及をしていた
ワークショップの企画とか子供達相手に工作機械とか教えて一緒にものづくりをしたり
どちらかというとソフト寄りといいますか。というような感じです。
つくること設計に関しては僕らがやって
大きく「空間づくりとコトづくり」ということをテーマになんとかつくるだけで終わりではなくて、作り終わってからもいつまでもタラタラと現場にいる人っていう言い方をしてるんですけど。なぜかいつまでも居座り続ける設計する人というのがなんとなく理想。

―堺市役所の食堂(森のキッチン)
プロジェクト的に、色々な人と関わりながら
堺市役所の食堂も改修していて、ここは社会福祉法人が運営していて、もともと市役所の地下にあるので、いわゆる社員食堂だったんですけど、市役所の方は12時から1時くらいの休みがきっちりと取られていて
そのあとの使われ方は全く空っぽな状態になったりだとか
地下にあるので近所の人は地下にあることすらも知らない。
そこを堺市の意向で、社会福祉法人が運営することになった。
もうちょっとカフェっぽい使われ方をするといいよねってことで、
カフェコーナーを設けようと。子供達や高齢者の方を意識して小上がりをつくって見たりとか。
社会福祉法人のスタッフが「なんか手伝えることないですか」ってすごくて。
どうしても一緒につりたい。すごく熱い人たちが集まっていて
時間もそんなにないし、どうしようかと考えた時に、とりあえず
こっちでやってもらうための準備をしながら相談をしつつ進めたところがあって。
各所に黒板を設けていて、その黒板をみんなで塗ってもらうとか。
完成してからオープンしても、僕らが今でもちょくちょくお邪魔している。

きむら:出来上がったあとは、こういう風な使い方するとか。
今までの市役所の地下の食堂とは違うはみ出し方に関しては誰と相談してたんですか?

安川:堺市とは全然話をしてなくて。やっぱり理解されにくいんですよ。
社会福祉法人の担当の方とすごい乗り気といいますか。
あんまり前例もないので、自分たちで、やってみるとか一回ディスプレイ並べてみるとか。
障害を持った方も含めて、すごい大事に使ってくれている。逆にテーブル拭きすぎて、禿げてるとか笑。使われ方。お客さんもそうですけど、スタッフさんのここに対する愛情が全然違う。内装に関してはそんなにおかしいことはしていないので、設計の内容に関しては雑誌に載るかと言われると、そんな設計ではないんですけど本当にいい食堂になっている。

きむら:じゃあその様子を見て、市役所の人も納得というか。
まあまあとやりながら、いつの間にか定着というか、まあそんな使われ方もありかという。
それが認められていくという。

松井:1つ補足すると
さっきじんじんが言っていた、1つの巻き込み。
それから行政との関わり方っていうのをね。すごいいい参考やと思う。
一般的に予算こんだけやから、こんな事業してくださいっていうのが普通。
その時に、安い高いというのと違って、これは一般の人と、障害を持った人との出会いということで、逆にいうと予算的には持ち出しっていうのが出て来ますよね。
でもやっぱり大事なのは、終わった後に1つのグループが出来上がっていて、それが市のために。
この建物をやることによって人が巻き込まれ、1つの市と市民の繋がる場所ができてくる。
っていうのがすごく大事。

安川:どれだけ具体的な図面を書いたところで、やっぱり出来上がってみないと見えないところもあって。

きむら:役所という組織であっても、学校であっても物好きな人はいると思う。
設計だけでなく、現場が発生してくると物好きな人たちがどっかこう現れるっていう感覚はすごくありますよね。
これつくるときは使い方で、ちょっと自分が介入して実際に現場を開いて見るっていうことを最初から意識してやりとりしてた?

安川:社会福祉法人の許可もいるんですけど、中で何をしようと特に。自由度はあった。

野点について

きむら:国分寺も曽我部の道もどっちもお茶堂が立っているという風景をちょっと意識はした場所でした。道端に一服できる場所があったらいいなーって。思うような場所やったな。
昨年亀岡の野点お散歩会自体は、計8回やって。
亀岡のいろんなとこ。曽我部や国分寺だけでなくて、保津川に向かって保津町あたりの細かい路地歩いて見たり、河川敷に向かっていくとこと、御城下、スーパーマツモト、駅前、建設前のスタジアム見ながら、などいろんな相談しつつ、最終的にはいろんな人が惚れたと思った2箇所に落ち着いたのかな。と思っております。
野点もやれたらまた亀岡でもやりたいなと思っていて、候補地30箇所くらい出ました。
立てる立てへんに関しての抵抗感の話さっき出てましたけど、お茶堂を立てる。
お茶どうなんであれば、野点の延長線上かなっていうのがあるなと思ってます。

松井:じんじんとお茶堂の話をする前話に出てたのは、農機具小屋
農業と芸術っていうものをちょうど結び手にあるのが田んぼの風景の中にある建築物としての農機具小屋。すごく美しくて。それのリサーチをしたい。
それと、その農機具小屋の中を使ってギャラリーにしたりカフェにしたり、ワークショップして見たり、アイデアとしてあって。そういうものをつないでいくと、もうすでに亀岡にはギャラリーはいくつか存在している。ちょっと意識を変えてやるだけで。
それをつなぐ経路をどうやって移動するのかということまでも考えてやると、これでもう1つのテーマパークがつくれる。すでに材料として十分揃ってる。
すでにあるもの。既存のものをリノベーションしている。建築物ではないかもしれない。仮説的な農機具小屋。トタンと安っぽいペンキと。そのブリコラージュ感ってすごく建築より、アート的やと思う。そこに手を加える。そこにじんじんがあのあぜ道を歩いてくる。
出来上がった1つの絵としてある。
ただ問題は、誰が維持するのか、どのタイミングで。それをみんなで考えないといけない。

きむら:僕がそれを聞いてて、思う部分は亀岡にはすでに美しいものがある。で、すでに美しいものがあるっていうのは、亀岡を対象として捉える目線だと思うんですよね。
僕なんとなくね、それだけでは少し足りない感覚っていうものがどうしてもある。
なんかそのすでにあるものを誰かが対象として捉えて、認識しながらそこに手を加えていく部分と、もちろん亀岡を対象として捉えている部分は当然あるのだけれど、同時に、そこに、自分自身で手を加える実感というか、柱一本でもいいから。
ある種体重をかけて建てるという行為に、どれだけの人が関われるか。
例えば松井先生と僕がこれいいね。と認定する矢印とは違う矢印で何かが立ち上がってくるようなプロセスを踏みたいなと。

松井:そうやと思う。近くにある出雲大神宮も昔はあんなんじゃなかったと思う。
ただの祠やったと思う。でもこれいいね。と人が集まりだして、もうちょっと人が入れるようにしようやと。パンパンなってきたから1つにまとめようやと。
これは1つのプロセス論。
初めに、柱。やってると、スーパー〇〇が出てきて、うちにある材使え、人も使え、みたいなんが出てくるとじんじん言うてたみたいに、自分の立てた柱みたいなんが出てくるし、そういうプロセスで進めていけば。じんじんが京都なんか阿呆らしい。とこっちへ引っ越してくる。そうするとじんじんが御本尊に。

きむら:笑 もしそうなってきたら、僕が御本尊にならなくてもそこを手がけた時間が御本尊になるんだろうなと。
野点も実は広告塔もしくは、もしくは安全管理の三角コーンのであって
そこに対する信頼感は手がけた作業から生まれている。とは思う。
現場生からそこに対する信頼感が生まれている。
そう信じたいと思っているだけなんかも知らんけど、そうあれかしという願いがあるな、と思ってますね。


 

きむらとしろうじんじん
1967年新潟県生まれ。京都在住。京都市立芸術大学大学院美術研究科で陶芸を学ぶ。1995年より、大小2台のリヤカーに、陶芸窯・素焼きのお茶碗・うわぐすりなどの陶芸道具一式と、お抹茶セット一式を積んでまちの様々な場所に あらわれる移動式カフェ – 旅回りのお茶会「野点ー焼立器飲茶美味窯付移動車」を全国各地で開催している。

安川雄基
1987年大阪府吹田市生まれ。
近畿大学理工学部社会環境工学科卒業。
建築・内装の設計・施工、家具製作、イベント会場構成・設営などの”空間づくり”と、
イベントやワークショップの企画、コミュニティスペースのコーディネート業務など、
“コトづくり”を両立させながら活動。現場が大好き。

 

更新日:2019/2/5