KIRI WISDOM 2 「パワースポットとは何か」

ゲスト:植島啓司

 

私たちは、ずっと神さまに祈ってきました。秋の実りを、死者の安らかな眠りを、商売繁盛を、生活の幸福を、苦しみから解き放たれることを。KIRI WISDOM2回目は宗教人類学者で京都造形芸術大教授の植島啓司さんをお招きし、「パワースポットとは何か」というテーマでお話しいただきました。現代に生きる私たちも、神秘的なエネルギーに満ちたパワースポットと呼ばれる場所を、いまだ、巡り続ける。その祈りの源流の神が降り立った場所を探るお話。亀岡にもあるのかな。

 

 

神が降り立った場所を求めて

聖地には二通りあると思います。一つは、そこで神さまを感じとったという場所、神さまが降り立ったとされる場所。もう一つは、人々が祈りのために、拠点をつくって神様をおがむ、つまり、人の側からのアプローチの場所。伊勢神宮とか、熊野本宮大社は人間の側から設けたものであって、そこには神さまはつねにいるわけではない。というわけで、神の臨在を感じさせる場所、本当に神さまが降り立った場所はどこなのかということで、ずっと探してきました。大事な場所は、明治以来の教育や政治によってほとんどなくなってきているので、急がなければなりません。

パワースポットを見つけるポイントはいくつかありますが、第一が石のかたまりの磐座(いわくら)。神様は岩とか木とかに憑依して降り立ったわけです。第二に水脈。地質学を調査するときにまずは神社をピックアップします。神社のあるところには必ず水脈があるので、水脈にそって探していくとパワースポットが見つかってくるのです。第三に柱状節理を持つ花崗岩に特有の現象が見られる場所。柱状節理は、火山の噴火などによってできます。火山は聖地と密接な関係にあるのです。

室生寺(奈良県)は、お寺の中では一番好きなお寺ですが、そこの十一面観音菩薩はぼくが一番好きな仏像でもあります。なんとも女性的で、やや生硬な感じもあって、とてもいい十一面観音だと思います。近くに室生龍穴神社というのがあって、その奥にあがっていくと室生龍穴というあまり人が訪れない聖域が現れます。からだが震えるくらい素晴らしい場所です。龍穴とは水の流れにそって対岸にぽっかり空いた洞窟であって、水の神さまの龍が住んでいると言われています。これまで東南アジアでもネパールでも探してきましたが、この龍穴は日本列島では修験の行者がこもった場所でもあるし、一番のパワースポットと言えるでしょう。

古事記の中の天岩戸

最近、亀岡、綾部、福知山を調査していて、福知山で天岩戸神社に出会いました。すごくよかった。その上に日室ケ嶽遙拝所があるのですが、すべてが感動的でした。いままでに見てきた室生龍穴などとも周囲の環境がよく似ている。さらには古事記のアマテラスの岩戸籠もりのシーンも浮かんできました。「古事記」にはこう書かれてあります。

天宇受売(あめのうずめ)命、天の香山の天の日影をたすきにかけて、天の真祈(まさき)を蔓として、天の香山の小竹葉を手草に結びて、天の石屋戸をうけ(空の桶)伏せて踏みとどろこし、神懸かりして、胸乳を掛き出で、裳緒を番登(ほと)におし垂れき。ここに高天の原とよみて、八百万の神咲ひき、

これは難しい一節ですね。儀礼の場で行われたことを文字にすると、こうなってくるわけです。つねに先に儀礼があって、神話はあとで書かれたのです。このような修辞を凝らした文章は古代の祭式と結びついていることが多いわけです。天岩戸の前に桶を伏せて足で踏み鳴らしながら神がかりするというのです。
あめのうずめはほとんど全裸に近い姿で踊ったことになるのですが、このような描写は日本神話の他の箇所を読み返してみても出てきません。「日本書紀」にも出てこないのです。でも、もともとはこういうことが実際に行われていたのではないでしょうか。神懸かりは古代ギリシアやローマをはじめとして世界中にいっぱいあります。日本だけそういうことをしなかったとは思えません。
そして、いろいろ文献などを探してみると、これは宮廷鎮魂祭で行われたものであることまでわかってきました。鎮魂は古来神道にとってもっとも重要な神事でした。魂は一種の「もの」であってすり減ったり、使い古したりするので、年ごとに更新しなければならなかったのです。だから冬至の日にそれを振り起す儀礼として鎮魂祭を行ったのです。
アメノウズメの「ウズ」は髪飾りを意味しています。髪に葉をかざすというのは、女性が巫女になる、神霊をさずかるということを意味しています。アメノウズメは固有名詞というよりは、神さまにつかえる女性全般を表しているのではないでしょうか。

万物が生まれ出た裂け目

天の岩戸とは何か。九州高千穂に天岩戸神社があります。一番大きなインスピレーションを得られる場所だと思います。本殿に参拝して帰るのが通例ですが、若い神職に天岩戸についてたずねると、拝殿の奥まで連れていってくれました。そして、川の流れている原始林を指さして、神職が「あれが天岩戸です」と言いました。そこには原始林の中に大きく開かれた巨大な裂け目がありました。一面に広がる緑の中で、そこだけ深い原初の闇がひそんでいる、そんな場所でした。それを見て、すぐに「あっ、龍穴だ」と叫びました。伊勢志摩にも天岩戸があるし、室生寺の天岩戸、龍穴、貴船神社の龍穴、福知山の天岩戸など、共通して素晴らしい場所となっています。万物がそこから生まれ出た場所という印象を与えてくれます。日本列島に分布している天岩戸、龍穴、龍泉洞、鬼穴、雨乞いの祠、風穴、鬼の岩屋,仙人窟などはすべて同じ意味を持っているように思います。
古きよき日本の伝統を、庶民のメンタリティとか、密かにわれわれの精神を支えてきたものを、ずっと、守り続けたいという気持ちがあります。なんとかそういうことの力になれないかなと思っています。


植島啓司
東京大学文学部卒業。東大大学院人文科学研究科(宗教学専攻)博士課程修了。シカゴ大学大学院留学。ニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、関西大学教授、人間総合科学大学教授など歴任。1980年から『男が女になる病気』(朝日出版社)『分裂病者のダンスパーティ』『ディスコミュニケーション』(リブロポート)など領域横断的な研究に取り組むとともに、日本および世界の聖地の研究を続ける。1990年から91年までNHK『35歳』キャスター、NHK-BS「少女神クマリとの出会い」『素晴らしき地球の旅』、『私の聖地』(荒川修作氏と共演)、『世界わが心の旅』など多数の海外取材番組に出演する。

次回
2018/11/17,18
KIRI WISDOM vol.3「山フーズの霧の中のクレープ」
ゲスト:小檜山聡子、LUAN BANZAI、NOEMI

更新日 2018/10/27