松井利夫

松井利夫 Matsui Toshio

 

 

作品タイトル / 説明

 

  • つやつやのはらわた

 

魚をさばいていた時、まだ見たことがないけれど、自分のはらわたもこんなに美しい艶をしているんだろうと思った。でもその艶を見ることはできないし一生触れられることもなく、私の体腔の漆黒の光に照らされ続け、やがていつか、静かに土に還ってゆく。

土に触れるということは、指先で土の声に耳を傾けることだ。その会話は触れないことには始まらないし、触れ続けることで気づかなかった思いの深淵を気づかせてくれる対話だ。ひんやりと湿った感触、押さえる力や、土の湿り具合によって変化する触圧は、人の身体の触れ合いを思い出させ、指が自然に形をなぞり始める。水面に石を投げ込んだ時に、波紋が広がるように、あるいは雨滴の重なりが、さざ波のような模様を描くように、土の表面には様々な会話の記憶が、幾重にも上書きされながら重力に抗いながら、大地から身を引き剥がすように形を生み出してゆく。それが土でものを作るということだと思う。 

 その感触の対話から、ものが生み出される、そのことは神秘的で充足した世界を形作っている。無数の土器や土偶のたぐいの形態の芯に、触覚の対話の楽しみがあったのだと気づく。そうでなければあのように、自然からも人からもかけ離れた造形は生み出されなかったと思う。昼の世界以上に、闇の世界への畏れと奥行きを知っていた人々の目には、その漆黒の質感や温もりや湿り気から、闇の向こうからやってくる何者かを感じ、生け捕る術を持っていたに違いない。見えないものを見、形作る術を持っていたに違いない。

 1万年以上も続いた土器の文化を、残された破片や形態から読み解くことはできないけれど、触覚の対話という視点から見れば、私は目の前の土に触れるだけで1万年以上昔の人々の指先の感覚とつながることができる、土を介して。文化の理解とは触れ合うことによる肌触りの上に成り立つ、すこぶる生理的な営みであることを忘れてはならない。

マリ共和国のバンバラ族の呪物にBOLIというこぶ牛の像がある。泥で覆われた表面に鶏やヤギの血が塗りたくられ、まるで内臓が反転したような不思議なオブジェには、目も鼻も口もないのに肛門がある。その指一本の小さな穴は反転する宇宙の入り口だ。私はその小さな穴からのぞき見る宇宙を夢見るのではなく、その穴に体をねじ込み、漆黒の闇の光を全身に浴びてみたいと思う。それは五感全ての領域を横断し、私の全体性と宇宙との合一を追体験することになるだろう。この地上の皆が忘れてしまった、あの闇に包まれた胎内の記憶を紐解くために、そっと頭を差し入れる。

 

 

松井利夫 Matsui Toshio

1955年大阪市生まれ。1980年京都市立芸術大学陶 磁器専攻科修了後、イタリア政府給費留学生として 国 立ファエンツァ陶芸高等教育研究所に留学。エトルリア のブッケロの研究を行う。帰国後、沖縄のパナリ焼、 西アフリカの土器、縄文期の陶胎漆器の研究や再現を 通して芸術の始源の研究を行う。近年はたこつぼ漁、 野良仕事に没頭し人間の営みが芸術に変換される視 点と場の形成に関する研究を重ねる。公開講座「ネオ 民藝」運営。現在:京都芸術大学教授、滋賀県立陶 芸の森館長、IAC国際陶芸学会理事。