KIRI²芸術大学|頭で学ぶ「cultivate to culture 土が育てるコミュニティ」レポート

2023年8月26日(土)14:00〜17:00
講師:小川諒(Takigahara Farm)・奥岡なぎ(KIRI FARM)
参加者:10名

講師紹介:

小川 諒 OGAWA Ryo(写真奥左)
新潟県出身。19歳で上京し立教大学経営学部へ進む。在学中、大都会での生活とサラリーマンを目指す風潮に違和感を覚え、海沿いの田舎町と都内の二拠点生活を始める。その後、卒業と国内外の旅を経て、2016年春、Takigahara Farm創設者 黒崎との出会いをきっかけに滝ヶ原町へ移住。土に触れ、種から野菜を作り、食べるプロセスに感動し、百姓に憧れる。現在は、山羊や鶏、野菜やお米、そしてコミュニティを育てる日々を送る。
HP:https://takigaharafarm.com/
Instagram:@takigaharafarm

奥岡 なぎ OKUOKA Nagi(写真奥右)
石川県金沢市出身。神奈川県の病院で助産師・看護師勤務を経て、 2021〜2022年 Takigahara farming clubにて仲間と共に畑をし、企画・広報などを担当。2022年10月京都・亀岡へ移住。 現在、KIRIFARM運営、みずのき美術館スタッフをしながらパートナーの奥岡莞司と共に新たな拠点作り進行中。
Instagram:@kiri.farm

*「Takigahara Farm」とは、過疎化が進む小さな集落のさらにその奥、石川県小松市滝ヶ原町にある。そこだけ地元の方言から異国の言語まで、さまざまな言葉が飛び交う不思議な場所。田舎に連想されがちな村社会的なそれとは対極にあって、国籍年齢問わず、大人も子どもも、多様な人たちが行き交うオープンなコミュニティとなっている。

*「KIRI FARM」とは、土とつながりを耕すコミュニティ。亀岡市千歳町毘沙門向畑にあるKIRI CAFEの裏の畑で毎週水曜日・日曜日に活動している。みんなで土を耕し、種を植え、畑で囲んで採れたものを食べる。大人から子どもまで、誰でも気軽に参加できるコミュニティになっている。

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トークは、かめおか霧の芸術祭の活動や去年の12月から始まったKIRI FARMの日々を振り返りながら始まり、「Takigahara Farm」という農的コミュニティの誕生から現在までを聞きながら自分の住む地域を耕して、豊かでより良い環境を作っていくためのヒントを探っていく内容になりました。

Takigahara Farmのコンセプトは「Life with farm. Cultivate to culture」
かめおか霧の芸術祭の英語名は「Kameoka KIRI Art Cultivation」
芸術祭の「祭」は、Festival(祭)ではなくCultivation (耕す)

土を耕し、文化を耕す。同じ視点を持つ、滝ヶ原の地に学ぶことがありました。

 

【人間ひとりでは生きていけない】
Takigahara Farmができるきっかけは、青山のファーマーズマーケットを運営していく中での生産者・農家さんと関わりから、色々な問題がある農業について考える場所を作ってみようというところから始まった。

小川さんは、
・Life with farm.(農的な暮らしの探求)
・Cultivate to culture(文化を耕す)
の2つのコンセプトを代表の黒崎さんから伝えられて、ほぼ身ひとつで石川県小松市滝ヶ原町での暮らしを始めた。

町では数十年ぶりの新しい住人だった小川さんは、まず地元の方々とコミュニケーションを取ることから始めた。現在のTakigahara Farmの形になっていくきっかけは、近所のお婆ちゃんから梅をもらい梅干しを作ろうとしたが、梅は大量で一人では大変で、この地味な作業を誰かと一緒にやりたい思い、友達を呼び始めたこと。「一人で作って一人で味わうことが本当に自分のしたいことなのか。」
この問いから派生して始まった新しいコミュニティは、植物が地に根を張るように広がった。そうして約7年が経ち、多くの人がこの場に来ては旅立ち、現在約5人でカフェ、ホステル、ワインバー、一棟貸し、木地師工房、鶏小屋、ヤギ、の施設と農園を運営している。
小川さんの「土を基軸にして人とコミュニティを作っていく。」という言葉は、今のKIRI FARMのコミュニティや毎週通っているメンバーが増えていく過程と重なって聴こえました。

【プロ野球じゃなくて草野球でいい】
例えば、どんなにお金があっても、ビルに囲まれた都会に住んでいても人間は土がないと生きていけない。土を耕すような農家さんがいないと食べていけない。しかし今日農業に携わる人口はどんどん減り、明るい未来が保証された職業とは程遠い存在となっている。
「TAKIGAHARA FARM」という屋号だけど、農家にはなりたくないと思った。生産者不足の問題などがあることはわかるけれど。例えば、野球をやったことがない人がプロ野球選手のようにできないのと同じで、農家は農業のプロ。だから、農家には生半可な気持ちではなれない。
でも、プロ野球でなくても草野球レベルからなら始められる。
初めて自分の畑を持った時、こう考えました。
この考え方は、畑をやるならきちんとやらないといけないと思い、手が動かせない人にとって、初めて野菜を育てることのハードルがぐっと低くなったように感じました。

 


【Hundred Works. 現代の百姓になろう。】
「百姓」と聞いて想像するのは田舎にいて汚れた服を着た貧しい人のイメージが浮かぶ。元々、百姓はお金をほぼ稼いでいない人で、生活に必要なものを自給したり、壊れた道具は自分で直したり、生活にまつわる殆どのことを自分達でやっていた。しかし、文明が進むにつれ、「百姓=貧しい地位」と社会の隅に置かれて蔑まれていくようになった。しかし、厳しい社会的・環境的変化のなかでも順応し、自然と共生した生き方を維持し、実はずっと満足な生活をおくってきたのではないだろうか。
山に行けば筍、茗荷、鹿や猪があったはず。周りにある、ありとあらゆる食べ物を工夫して食べてきた。つまり、彼らは商業が必要ないところで暮らしてきた人たち。
「Hundred Works.」は、百姓の生活スタイル、精神性を改めてリスペクトしようという考え。
しかし、これを現代に置き換えることが大事。仕事や好きなことを一つだけではなく、いくつも持ってみることで生まれる新しい自分だけの働き方があるのではないだろうか。

【Design Creation Diversity. 新しいことするときはデザインから始まる。】
良い空間に人は集まり、良いコミュニケーション、良いアイデアが生まれるという考え方。
オーナーからは、「空間だけでなく、椅子、テーブル、照明、器、カトラリー、全部のデザインが大事。」と常に言われていた。
食器棚には選ばれた銀食器や漆器、海外の陶器が置いてあった。当初そういったデザインに興味はなかったが、今となって生活の中で触れるものがいかに大事かわかってきた。どうでもいいものは周りに一つもない。

【Food Experience】
どんな季節に、誰と、どこで、どんな器で、どんな食材を、どんな音楽とともに、これら全てが合わさって「おいしい」が生まれる。例えば、お味噌汁一杯にしても100円均一ショップのものなのか、好きな作家の作った器かで見え方が変わってくる。お気に入りの器に何を入れよう、何を食べようと考えることで器の価値も変わってくる。あらゆる物事が食につながっている。
いろんな目線、角度で「食べる」という経験をデザインすることが大事。
生産者、料理人、音楽を流す人、運ぶウェイター、それぞれの個性や感覚が作用しあって一品のためのアイディアが無限に広が


【TAKIGAHARA NATURE SCHOOL 人生は学ぶためにある】
最初は、味噌づくり、餅つきなどワークショップを単発で企画していたが、地方ということもあって集客が大変だった。それが、デンマーク人のアナさんが滝ヶ原に引っ越してきたことをきっかけに変わっていった。
「全ては学び、人生は学ぶためにある。何もかもが学び。それを生涯やっていくことが人生。」
1泊2日、年に6回開催する学校のような場所ができた。毎回テーマが変わって、自然の写真を撮るカメラマン、尼さん、虫を食べる会など。それは、一つの体験で終わるのではない、そこで生まれる学びをシェアしようというものになった。旅行が贅沢なものになってきた今、学ぶためにどこかに行くことは、自分への投資に繋がると思い開催してきた。


そして、毎回の中で、みんなでご飯を作ることが大きなポイントだった。
目の前にある限られた食材で何かを作る。どんな料理にするかは決まっていない。
実際に参加した奥岡さんは、「人が変われば味つけが変わった。昆虫食ではセミが美味しかったのが驚きだった。蟻を集めて蟻チョコなんかも食べた。毎日は食べないけれど(笑)。美味しいと知っていることで視点が増える喜びがあった。」


【TAKIGAHARA CAFE 社交の場】
町では、カフェができるまでお金は自販機に使うことぐらいしかなかったが、カフェは地元の人が来てくれるような「社交の場」になった。食べ物と飲み物があれば、テーブルを介して人が交わっていく。
クリスマスパーティー、正月の餅つきなどカフェがオープンな入り口として開いている場所になった。


【TAKIGAHARA CRAFTE&STAY 田舎にいながら地球儀をみる感覚】
Airbnbのサイトだけに掲載をして1日1組の宿泊施設を始めると世界中から人が来てくれた。
その中で自分が海外を旅している時にそうしてもらったように、人が来たらよくしてあげたいという気持ちが生まれ、田舎にいながら地球儀をみるような感覚でいろんな人と関わっていけるのが宿なんだと思った。
20名以上が泊まれるホステルを運営していくために、掃除する人、ご飯を作る人も必要だよね。という感じで人が増えていった。家族を持つ人たちも増え、移住者の間で「子供のことも考えなきゃね」となっていった。それぞれのライフステージが上がることでコミュニティとしても成長している。誰もやっていないことを探すのが重要なのではなくて、何が必要で何ができたら良いかを考えられるのが田舎のいいところ。

【CRAFT TOUR 守るだけの伝統工芸ではない、新しく始めても良い】
北陸の伝統工芸の価値を再確認し、実際に手を動かしてオリジナルの工芸品を作ってみようという企画。宿泊施設ができたことで、人が滞在しながら何かを体験できるようになった。
例えば、和紙づくりの企画がある。滝ヶ原では、がんぴ(和紙の原料)が採れる。「伝統工芸」というと伝統を継承することに重きが置かれるが、一方で新しく始めても良いのではないだろうか。がんぴ紙は、とても丈夫で1000年保つといわれているが、100%原料採取と紙漉きが一貫して行われているがんぴ紙はもう日本には存在しない。滝ヶ原はガンピは取れるが和紙を作ってきたわけでないが、滝ヶ原でもう一度和紙づくりをするために、和紙職人を探すのではなく、紙漉きをしながら音楽をしている、アーティストをしているみたいに異次元の接点を持つことができる人を探している。

集客は依然として課題の一つ。多国籍なメンバーの力を借りて英訳したり、カメラマンに写真を撮ってもらったり、次回行きたくなるPRの仕方など、どうやって情報を届けるのか、日々頭を悩ませている。



【まずは自分が楽しむ感覚を持つ】
奥岡さん
「トークイベントの参加者の中には宿をしている人、畑を始めた人、何かのコミュニティに参加している人が集まっている。そこに、たくさん人が来なくても何か楽しくしていきたいというのは根源的な欲求としてあると思う。」
「楽しい場」を作るには、やっている側が面白い、自分が楽しいことを考えないといけない。
毎日、漫画のように登場人物に個性があっていろんな出来事が起こるような生活がしたいと思っている。だから、「ダイバーシティ(多様性のある集団)」は面白い。例えば、全く違うバックグラウンドを持った各国のメンバーと活動していると、「忙しい」の感覚が違うことに驚いた。他にも何かを決めたり議論する時に、考え方の違いに気付かされることがある。TAKIGAHARA FARMは、「いいね!一回やってみようよ。」をするためにできた場所だからいろんなことに挑戦できる。

【小川さんがいましていること】
・現在、約2年ヤギの世話をしている。ミルクの搾乳、フンで堆肥づくり、耕作放棄地の雑草を食べてもらうのが目的で飼い始めた。2頭→7頭→5頭という具合に増えていった。
一番学んだのは、2頭のヤギを病気で死なせてしまった時だった。解体して部位などを勉強し、お肉は食べて、皮は舐めした。悲しかった経験から、もう次は。と思うようになった。それから、よく観察するようになり、だんだんと言葉を超えたコミュニケーションができるようになっていった。ヤギの魅力は、犬や猫のように自分から寄ってはこない。こちらから愛情表現をあげると心を許してくれる動物。どれだけ近い関係になれるかは自分次第。
・今日、亀岡に来たように自分の行きたい場所に行って、そこで人に出会って、話をして、色々な人をコミュニティに招き入れていくことも大事なこと。
ずっと待っているだけでは人は来なくて、自ら人に会いにいかなくちゃいけない。

【参加者と一緒に座談会】
奥岡さん
「実際に滝ヶ原に関わって、土に触れることも学ぶことも、暮らしを自分でできる力をつけていくことのきっかけが得られた。そうした自分が耕された感覚の中で亀岡に来て、KIRI FARMを始めることになった。そこに来てくれる人たちに自分が学んだように作ることの面白さや経験することで生まれるたくましさみたいなものを持って帰ってもらえたらなと。
滝ヶ原にカフェができて地元の人が来るようになったように、自分の地域に何があったら嬉しいか。そんな声が聞けたら嬉しいです。」
KIRI FARM参加者
「今まで、サークル活動でで農家さんに会いにいくことをしていたが、ここでは農家じゃない人たちと一緒に作業をする畑の在り方が面白い。」
小川さん
「畑を中心としたコミュニティは、人が集まり、学ぶを共有する場所。農地は生産的でなければいけないという考え方を一変した。
そして、自分で野菜を作るときの醍醐味は、とにかくおいしいということ。
隣のおばあちゃんから育て方を教えてもらってネギの苗を育てたとき、稲妻が走るような美味しさだった。それは、味の追求の美味しさではなくて、経験や過程全てがつながって美味しいになった。その日を境に、近所のおじいちゃんおばあちゃんのライフスタイルのイメージがガラッと変わり、いつもこんな美味しいものを自分で作って食べているのかと驚いた。自分でつくることの“豊かさ“の意味が五臓六腑に染み込んだ。
畑をすることによって、食べるために体を動かし、体を動かすために食べる。自然と直接関わり、生きることができる。お金を使い生活をおくることは間接的消費者。これから先もお金は必要だけど、本物は自分でしか作れない。
自給自足を目的にするとハードワークになってしまうから、「味噌も美味しいから醤油も作ってみた。」のように好奇心をもって進んだ結果として生活に必要なものを一つひとつ作るのが良い。」

小川さん
「ていねいな暮らしという言葉があるが、それはその人が素直に感じているものがあるから丁寧になっていくもの。人それぞれの丁寧さがあっていい。ここは適当でいいやというゆるさがあったり、自分の中で続けていけそうなパワーバランスが大切。」
奥岡さん
「“ていねいな暮らし”が目的になると、美学や中身が伴わなくなってくる。美味しいことや人と食べる喜びを目指した時に、“何を育てていこう“という気持ちが生まれる。
農が目的ではなく、その人が生き生きするものを目指したときにそこに農があると喜びが増したり、何かしたいことがある時に“自分で育てたうまいもの”を食べることで パフォーマンスが変わってくる。
KIRI FARMも農が目的ではない。参加している人の生活の中で、その人がちょっと強くなるための支えになるような土との関わりが作れたらいいなと思っている。最初はファームを作ることを目的にしていたが、段々と手段化していっている。これが進んでいった時にもっと広がっていきそう。」
小川さん
「生産性だけで測らないようになると、失敗によって生まれた気持ちから考えるようになる。畑にPDCAサイクル(Plan計画、Do実行、Check評価、Action改善)が全て入っているのは学び。例えば、毎年、土や雑草の見え方が変わったり、自分が何を知ったかで目の前の景色は良いか悪いか真逆になることもある。自然の摂理には抗えない中で、自分がどう手を加えて関わっていくかによって成果が生まれるのか変わってくることが面白い。
本やメゾットに習って本の通りにするようなことはしなかった。それでできた場合はいいが、できなかったときにどうするのか。考える力と観察力を養うことから始め、自分に合うスタイルを見つけることがまずは大事だと思った。
一方、江戸時代末期ごろまでは人口の9割が農耕に携わっていたと言われるぐらい、お米と野菜を作ることは誰にでもできていたことだった。というかできなければいけないことだったのだろう。きっと全員がきっちり真面目ではなかっただろうし、独創的な人もいただろうと思う。土に触れること、本当はそんなにハードルは高くないはず。」

奥岡さん
「TAKIGAHARA FARMが宿泊施設としての機能を持った時に深みが増してより広がったと思う。入り口、きっかけ、味見みたいな感じが“体験”で、本当に消化して出すみたいな感じが“宿泊”。霧カフェも最初は宿にしたいねと話をしていたんですよね?」
武田さん(KIRI CAFE)
「最初は宿にしようと企画していたけど、現在のカフェだけの形になった。」
奥岡さん
「参加メンバーに、余部町で農家民宿のつぐみという宿を始めた人がいたりする。滝ヶ原では、宿があることでの広がりを感じたのかな?」
小川さん
「宿をしていて難しいと思うのは、運営する側のスタンス。ホテルのようなサービスを求めている人もいるが、同じ目線で接したいと思っている。それには、いかにお客さんを落胆させるようなことが起こらないような設定が必要。事前にどんな場所なのか情報を伝えている。
しかし、人が来なかったらベッドが空いているだけでそこには何も生まれていない。そんな中で今年から、ボランティア制度を設けている。ボランティア滞在可能期間は、最低1〜 3ヶ月までの間で、畑や得意なことで働きながらホステルに滞在するいうもの。大勢に来てもらうことも大事だけれど、一人が長く来てくれることも大切。このシステムは、スタッフにも良い影響を与えている。
ベッドを全て埋めず、3つぐらいはボランティア枠として取っておくみたいに、抜きどころをつくることでユニークな場所になり、人が集まってくるのではないだろうかと考えている。
どんなに楽しくても経済的に成立していないとやれているとは言えないので、実を伴わせて行くのは大変だが、行政と協力したり、0からプロジェクトを起こしたり、“あったらいいなあ”から話して始まっている。子供みたいな頭で、いかに大人の実行力を発揮するか。
よく見せようと偽ったり飾りつけしたことよりも、純粋にやりたい!と素直な気持ちで言ったことが人に響いていく。」
奥岡さん
「この毘沙門は、駅から遠かったり、高齢化が進んでいたり、滝ヶ原に似ている。
地域の人と自分達が何があったらいいか考えるのがコミュニティが育っていく最初にあるのかなあと。」
参加者
「あったらいいなあ”はどんなことを考えてますか?」
奥岡さん
「私もまだ亀岡に来て一年経っていないですけど、もうちょっ居酒屋みたいな飲めるところがあったらいいなと。お酒特有のほぐれ方は魅力的だなと。亀岡は飲む場所あんまり無い気がする。」
参加者
「移動手段が車だしねぇ。そんなに飲みに行こうって言わない気がする。」
参加者
「そこで泊まれたりすると良いですよね」
参加者
「昔は亀岡にありましたよ。山奥で鍋付きお風呂付きの泊まれるところが。」
奥岡さん
「明日、KIRI FARMの畑の中に、竹作家さんと竹のベンチテーブルを作る予定で、ここには宿泊はできないけどベンチが滞在できる場所になったらなと。」

奥岡さん
「ベンチがあれば、KIRI FARMのランチテーブルにもなるし、近所の人がもし散歩途中に座ってくれるかもしれない。一つものがあることで、広がって行くこともあるよね。」
参加者
「そういうのありますよね。ちょっと興味本位で寄ってみたところから物事が始まったり、ありますしね。」
小川さん
「オーナーからは常に“どういう状況を作るかを考えろ”と言われていた。
ぽっと出では何も生まれないから、何かが起こる、アイデアが生まれる状況をどうセッティングしたらいいか。ベンチはそのツールの一つになるかもしれない。そういう仕掛けをいっぱい作ることが大事。」
奥岡さん
「コミュニティを育てることは目的ではなく、別の大きな目的があったときにそこに人が来て、自分だったら何ができるかなと考えて。だんだんと人が育っていくことって種みたいだねと。最初は何も知らずに来た種(ボランティア)だけど、そこで過ごすうちに何回か花を咲かせて、種が落ちて、種取りしていくと雑草にも負けない野菜になっていく。そこで採れた種は、畑としても未熟なところに撒いても育っていく。コミュニティを育てることは、そこに関わる人が育っていくことだと感じた。」
小川さん
「コミュニティ、野菜にしても、今まで色んなものを育ててきたけれど、そこの面白さは世話をして自分が育てているけど、結果的に育てられていたのだと気づくことがある。
それらは、すぐではないけれど、必ずどこかのタイミングで育ててもらってたという視点に帰れる時が来る。それによって、興味も広がってきてさらに面白くなっていくなと。

【最後に】
小川さん
「田舎で暮らしたり、都会を離れて生活・活動することは素晴らしいという言葉以上の感覚を秘めていることだと思うので、こういった活動がもっと増えていけるように。
これ以上人が都会に集まるより、一人でも多くの人が里山里海の中にいてくれる方が面白いと思う。自然的な原点に立ち返り、生活の価値観を見直してみることができる。だから、一人一人が自然の環境を楽しんだり、考えたりする場をこれからも作っていきたい。」

奥岡さん
「地方でコミュニティは点在していて、滝ヶ原のようにオープンな場所もあれば、山奥の村でコミュニティが育っている場所もあって。そのコミュニティの形はいろいろだけれど、滝ヶ原は、一つのモデルケースになる。地方に行けばあるような風景の滝ヶ原町という場所で世界のどこでも似たような景色があったりして。小川さんが降り立ってから今に至るまで、色んなことがあったけど、“出来うる”というのを実践者から伝える立場に移行している気がする。
目指す先がより良い結果や続けて行くエネルギーになっているのかなと。」

小川さん
「色々したいからね。過疎化や限界集落の問題は日本だけじゃなくて、世界中で同じ問題を抱えている。世界とどう向き合っていくかは面白いところ。海外でプロジェクトを持つ希望が芽生えるだけで世界が広がるなと。」

奥岡さん
「私が良い影響を受けたものがあって。今まで、“もうやられているもの”は私がいまさらやってもとか、どこかで思っていた。だけど、“良いものはどこにいって、どんだけあっても良いじゃん“という言葉があった。同じようにしても置かれる状況や人が違えば、全部それが個性になっていく。良いものはどれだけあってもいいが励みになっている。」

 


トークの後はスタッフみんなでご飯を食べようということに。
キリカフェのカレーに加えて、みんなで野菜を切ったり茹でたりして作ったおかずを囲んでご飯を食べました。こうして、「同じ釜の飯を食う」こともコミュニティを広げていく、深めていくにはやはり大切な過程だと感じました。


文:森國文佳