インタビュー SHIRAISHI farm 白石真也さん(農家)

  • インタビュー

SHIRAISHI farm 白石真也さん

文/中川瑠璃  写真/橋元有理子

亀岡の農業を〝開拓〟する、白石家の挑戦

白石一家。左から、暁子さん、真也さん、凛々子ちゃん、響くん。次男の瑛樹くんは寮生活のため、この日は欠席

白石さん一家は真也さん、妻の暁子さん、長男の響くん、次男の瑛樹くん、長女の凛々子ちゃんの五人家族。新規就農を志し、二〇一七年に向日市から亀岡市へ移住しました。レーシングカーなどの自動車整備に約二十五年間携わった白石さんが、新天地で農業を始めたきっかけは何だったのでしょうか。

Interview

 

はじまりは週末農園

――なぜ亀岡市で就農しようと思ったのですか。

真也さん(以下、真):六年ほど前に友人を通じて、亀岡に農地を持つ方と知り合ったことがきっかけです。
暁子さん(以下、暁):もともと私が「食」に関心があり、その方に畑を借りて、「tera-coya農園」という、食の勉強会や野菜作りをするグループを友人と作ったんです。初めは遊び感覚でやっていたのですが、だんだんと夫の方がはまってしまって。
真:何も考えずにナスを百五十本くらい植えたりするんですよ。取っても取ってもできるから初めは仕方なく手伝っていたのですが、これが意外と良い出来で。それにやっぱり……面白かった。そこから本格的に就農を考え始めました。

――具体的にどうやって就農されたのですか。

真:京都市にある新規就農者向けの相談窓口へ行き、支援制度を紹介してもらいました。その後、亀岡の農園で二年間研修させてもらい、独立して、二〇一九年十月に就農しました。ここはもともと耕作放棄地で、丈が二メートルほどもある雑草で埋まっていたのを家族総出で〝開拓〟したんですよ。
「tera-coya農園」を立ち上げた頃に作った刺繍入りのつなぎ

野菜作りは子育てと一緒

――おいしい野菜を育てるためにこだわっていることはありますか。

真:土づくりですね。ただ、肥料をやりすぎると野菜本来の力が弱り、病気になりやすくなりますから、ある程度放ったらかしにして自分たちの力で頑張ってもらわなければなりません。よく“野菜作りは子育てと一緒”といわれます。毎日畑に足を運んで、常に見てあげることが大切です。
暁:雪が降って寒い時、カンカン照りで水が足りなくなった時など、夫はよく「野菜がかわいそうや」と言います。なんだか、子どもより手を掛けているんじゃないかと思うくらいしっかり見ていて。野菜の声が聞こえる、というのか。
真:ベテランの農家さんや、上手に育てる人は、その力に長けている人だと思います。僕はまだまだですが、それでも色や形などから野菜が発しているものを何となく受け取れるようになってきました。そこで適切な処置を施し、病気の蔓延を免れたことがこれまでに何度もありましたね。
ビニールが外れパイプだけになっていたハウスを真也さんが直した

「おいしい」と言ってもらえる野菜を

――育てた野菜はどこで販売しているのですか。

真:「ファーマーズマーケットたわわ朝霧」さんや「桂川街道産直ひろば」さんなどの直売所が中心です。大きな販売ルートに乗せるよりも、できる限りお客さんと近いところにいたいと思っています。 今作っているキャベツはとてもおいしい品種なのですが、病気に弱く、去年はあまり出荷できませんでした。それでもお客さんの受けがとても良かったみたいで、直売所の人から「お客さんが『あの人のキャベツないの』って言ってるよ」と声を掛けてくれて。病気にかかりにくい品種もあるにはあるのですが、品種改良が繰り返されているからか、あまりおいしくないんです。それを作って収穫量を上げるよりは、お客さんに「おいしい」と言ってもらえる野菜を作りたいと思っています。

――ご自身が納得のいくものを売りたいのですね。

真:お金を払って買ってもらうわけだから、100%の商品を出したいんです。新規就農でノウハウもないので、勉強して、わからなければ先輩農家さんに聞いています。市役所の農林振興課や南丹農業改良普及センター、JAの職員の方にもたくさん助言をいただいています。よくのぞきに来てくれるんですよ。僕がいないときでも畑に入って作業してくださることもあって、「どうにかして農家として食べられるようになってほしい」という思いを感じます。本当に、頭が上がりません。
試行錯誤の末、確実な発芽方法を取得し、育苗中のブロッコリーの赤ちゃん

一次産業から六次産業まで

――今後、挑戦したいことはありますか。

暁:最終的には、一次産業から六次産業までやってみたいと思っています。「ここをちょっと切り落としたら使えるのに」という野菜をスイーツや総菜に加工して、家の敷地に設けた小さな建物で販売したいです。他にも、野菜をおしゃれにパッケージして販売したり、一週間の献立表を考えて、それに使う野菜を詰めて発送したり、ということができれば。

――夢が広がりますね。移住して、ご両親が農業を始めたことについて、お子さんたちはどうでしたか。

響くん(以下、響):僕は今、南丹市の京都府立農芸高等学校で農業を学んでいて、移住が決まった時にはすでに入学が決まっていました。tera-coya農園に通っていたことが農業を好きになったきっかけだったのかなと思います。もうすぐ卒業して、来年度からは神奈川県にある農業系の大学に進みます。
暁:娘も、tera-coya農園の時から嫌がらずに畑仕事を手伝ってくれています。ただ当時、中学に上がる前だった次男は大反対でした。「何でそんな田舎に行くねん」って。すごく心配したのですが、今はもうこの土地にもなじんで、高校も長男と同じ農芸高校に進みました。農業というよりは、土木系志望のようですが。
響:土を耕すための環境作りというか。

――農園を運営するメンバーが揃いつつある、ということでしょうか。響くんは大学卒業後、お父さんの跡を継ぐのですか。

響:帰ってこようとは思っているのですが、それからどうするかはまだ……。

――お父さんとは別でやりたい?

真:いや、お父さん“が”、別でやりたい(笑)。


春キャベツの柔らかな葉は、甘味があっておいしい

気軽に始めた週末農園をきっかけとして、野菜作りの魅力に目覚めた白石一家。「おいしい野菜を作りたい」という真也さんの想いを中心に、家族みんなで農園を創り上げていこうと奮闘する、温かなエネルギーがあふれていました。

インタビュー・文 / 中川瑠璃    写真/ 橋元有理子
インタビュー日:2021年 1月〜2月